いろんなことが嫌になる日々

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<<   作成日時 : 2014/02/12 01:14   >>

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東野圭吾著、講談社文庫。

読もう読もうと思っていてずっと忘れていた小説。開発中の自衛隊ヘリが乗っ取られ、国内の全原発を使用不可能にしなければ原発に墜落させるという声明が出されるが、ヘリにはなぜか子供が乗っていて――云々。

単なる小説あるいはミステリ(もしくはサスペンス?)としてみたとき、読んでいてシンドイというか、胃もたれのするようなボリュームで、文章が長いというより現実の社会問題をかなり具体的に描いてしまっているので、単なるエンターテイメントとは見られなくなってしまうというのはもったいない。原子力に関わる社会的な問題がほぼ網羅されているのはすごいが、ちょっとやりすぎな感じもしてしまう。まあ本人が書きたかったのはそういうことなのだろうけれど。今なら映画化とかしたら話題を呼びそうだが、実際問題無理ですかね(笑) 個人的にはどの文献を探ったのかはすぐにわかってしまったので、いくらか萎えてしまったのが残念だが、それは仕方のないことか(「原発ジプシー」読んでるよね、とか)。

この小説においてもやはり東野圭吾らしく犯人は悲しい過去から犯行に及ぶわけだが、それにしたって犯行の目的が社会正義に走りすぎているところがちょっと気に入らない。探偵役が不在というか複数に分散してしまっているので、この物語の主人公は犯人ということになるのだろうし、そう思うともっと感情的であって欲しいところ。著者自身が元エンジニアであっただけに、エンジニアに対する敬意というか、愛着のようなものがあるんだろうと思う。以下は航空機のエンジニアである湯原と原発のエンジニアである三島の会話だが、このような科白を登場人物に喋らせられるのは、著者くらいしかないだろう。工学というものの本質を鋭く描き出している。

「なあ湯原、絶対に落ちない飛行機があるかい? ないよな。毎年、多くの死者が出ている。それに対して、お前たちのできることは何だ? 落ちる確率を下げていくことだろう。だけどその確率をゼロにはできない。乗客はそれを承知で、その確率なら自分は大丈夫だろうと都合よく解釈して乗り込むわけだ。それと同じなんだ。俺たちにできることは、原発が大事故を起こす確率を下げることだけだ。そしてやっぱりゼロにはできない。あとはその確率を評価してもらうしかない」
「いっていることはわかるが、その説明で納得できる人間は少ないだろうな。飛行機は、乗りたくなければ乗らないで済む」
「問題はそこだ」三島は頷いた。「原発が大事故を起こしたら、関係のない人間も被害に遭う。いってみれば国全体が、原発という飛行機に乗っているようなものだ。搭乗券を買った覚えなんか、誰もないのにさ。だけどじつは、この飛行機を飛ばさないことだって不可能じゃないんだ。その意思さえあればな。ところがその意思が見えない。乗客たちの考えがわからないんだ。一部の反対派を除いて殆どの人間は無言で座席に座っているだけだ。腰を浮かせようともしない。だから飛行機はやっぱり飛び続ける。そして飛ばす以上、俺たちにできることは、最善を尽くすことだけなんだ――

はじめの科白の最後「あとはその確率を評価してもらうしかない」というのは、安全工学の本質をよくあらわしていると思う。それが安全かどうか、あるいは受容可能かどうかを判断する部分は、科学でも工学でもないということを、もしかしたら当の原子力屋たちは理解していないのかもしれないと感じることがあるが、どうなのだろうか。



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